心に残る家族葬のエピソード:大切な人との別れに向き合う

大切な人との別れは、人生において避けて通ることのできない切なくも美しい瞬間です。家族葬は、限られた人たちと共に過ごす温かなひとときであり、その中には心に残る感動的なエピソードがたくさん詰まっています。愛情と感謝に満ちた家族葬の瞬間を通して、大切な人との絆に向き合い、喪失と再生の中で心が繋がる物語をご紹介します。

家族葬の体験談:父の叔母を偲び、思い出に満ちた最期の計画

30代女性です。今日は数年前に父の叔母が亡くなった時の家族葬について書きたいと思います。
そのおばさんとはあまり面識はなかったのですが、幼いころの彼女のイメージは、働き者で男勝りなカッコいい人、という感じでした。彼女が体調を崩して入院したとき、ぞのイメージが崩れる感じに衰えていて、かわいそうだなと思ったのが最期です。今思えば、もう少し会っておけばよかったなあ、と思います。

入院して、たった数か月で亡くなってしまいました。人の命はあっけないな、と哀しくなったのを覚えています。

彼女の葬儀は最近ポピュラーな家族葬でした。山奥の会館を借りて、近い家族だけを呼んだこじんまりとしたものでした。

お葬式の当日、まず聞こえてきたのが、そのおばさんのカラオケの声でした。初めは、葬儀会場から流れてきている音だとは思わずに、何かの宣伝が聞こえているのかと思っていました。それくらい、音程がズレているので、思わず笑ってしまいました。このおばさん、カラオケが趣味で、よくお酒を飲んでは歌っていたみたいです。葬儀会場で不謹慎かもしれませんが、愉快な気持ちになりました。

会場の中には、おばさんが好きだった歌手の曲が流れていました。また、昔の写真がプロジェクターで流されていました。いい意味で、あまりお葬式らしくなかったのを覚えています。そこにいるみんなが昔話をして懐かしんだり、思い出を語り合ってなごやかな雰囲気でした。
そして終始、おばさんの調子っぱずれのカラオケの歌が聞こえていました。一番よくかかっていた「カサブランカ・グッバイ」が今も頭によぎることがあります。思い出すと、この人の人生は悪くなかったんだろうな、と変に思います。

この家族葬は、生前彼女が用意したものか、家族が準備したものかは分かりません。でも、昔ながらの葬儀よりもずっと心に残ったと感じます。お葬式をするなら家族葬がいい、と思っている方は、ぜひ事前に家族と話し合って、自分らしい最期の計画をしてみるのはどうでしょうか。印象に残ること間違いなしだと思います。

大晦日の家族葬~淋しさと心の寄り添い~

妻の母の家を建て替えて、私、妻、長男、長女、ペルシャ猫、母と一緒に暮らしていました。長男は独立して別に住むようになり、4人と1匹の生活が続いていたのですが、母が年を取り、寝たきりになり妻が介護をしていました。

家を建て替えた頃は、母の友達が毎日来ていましたが、年々減って行きました。身内もいないので私達だけしか家族が居ませんでした。

日に日に衰弱して行くのが分かるのですが、まだ歩いている頃は少しボケも出ていました。最後の頃は誰が誰だか分かっていませんでした。そんな母が12月31日に眠るように亡くなりました。当然お墓も無く、お葬式をしても誰も来る人がいない思い、家族葬にすることにしました。

直ぐ、互助会に連絡をして家族葬でお願いしました。処が31日大晦日だったので、葬儀場がお正月休みになってしまうので、その日のうちに葬儀場に預かって貰う事になり4日まで置いて、5日に火葬と言う事になりました。

最後のお正月を家で過ごす事が出来なかったのが残念で、かわいそうでした。ただ、家族葬にして、何となく淋しい気持ちで、出館の時も4人と葬儀社の人が1人だけでした。

母が亡くなってから、とても後悔した事が在ります。まだ元気だった頃、1階で紅白を見ていたのですが、最初は話相手をしていましたが、段々めんどくさくなってテーブルを離れて1人で見てしまいました。すると母が1人で下を向いて飲んでいました。暫くして2階の自分の部屋行ってしまいました。もし分けない気持ちで何とも言えませんでした。それからと言うもの1階でご飯を食べるとすぐ2階に上がってしまう様になってしまったのです。

家族葬にしてみて、1つだけアドバイスがあります。暫く、朝も昼も人が来てお線香だけでもと言って来るのです。いつ,何時に来るのか分からないので家を空ける事も出来づ、お墓も決まらづお骨も暫く置いていました。近所の人も気を使ってそろそろ落ち着いた頃だと思って忘れた頃に来たりしました。また、知らなかったと言って来る人もいました。どちらが良いのか、葬儀をして1回で終わらす事も1つの考えだと思います.

家族葬の寂しさと後悔~大切な家族を見送る想い~

私は56歳になる独身男です。昨年亡くなった弟の葬儀についてお話します。

弟は一昨年、夏前に顎の下にコブのようなデキものができ、それは日に日に大きくなり三カ月ほどして突然破裂すました。近所の病院に連れていき診てもらうと「検査をします」と1時間位して呼ばれると先生が厳しい顔で「腫瘍だね、紹介状を書くので協同病院へ行ってください」と言われたがその場では何の話もなかったので2日後、協同病院を受診させるとまた検査をしました。

私は分からなったのですが検査に行ってるときに「病名についてや余命などについて本人に説明してほしい」とサインしていたようで、告げられたのは悪性の腫瘍「ガン」でした。しかも破裂した顎の下のコブは転移したガンで大元は喉の奥あたりに下咽頭ガンができていると説明されると、それを聞いた弟はその場で「余命というか、このままだとどの位もちますか?」と聞き、先生から「う~ん、1年位かな」と、間髪いれず私が「でも治療や手術をすれば・・・」と聞くと「元の下咽頭ガンも顎の下にできてるガンも喉の動脈にくっついてて手術はできないしここまで大きくなると放射線も意味ないかと思う、抗がん剤がメインの治療で1年位かな」といわれそれから1年3か月後に弟は逝きました。

我が家は4人家族なのですが母は数回の脳梗塞により3年前から施設に入居しています。死んだ弟も10年前に脳梗塞により軽い半身不随になりそれがもとで離職していました。父は自営業をしていたのですが7年前に倒産しそれからは家で隠居をしていたのですが数年前から痴呆症になりはじめ、ですから私が一家を養ってきていたのですが約4年前に糖尿病をそのままにしていたつけがきて、気づいた時は足を切断し働くことができなくなり今は生活保護を受けています。

ですから弟の葬式も大きく出してやることはできず葬儀は親戚も呼ばず家族葬といっても父と私の二人で見送ってやりました。今の生活から葬儀にも親戚は呼ばず葬儀後連絡をしたため今も誰も線香をあげにも来てもらえません。

今おもうと、葬儀にだけでも親戚に来てもらった方がよったのかと後悔しています。各世帯により色々な事情はありますが、あまりにも少人数での家族葬は悲しいものがあり、私はまだ母と父が残っています。その時は一人での家族葬になってしまうのかと悲しい思い出いっぱいです。

大切な家族を見送る悲しみと後悔~家族葬の準備を急がない大切さ~

初めまして、45歳男性です。

これをご覧の皆さんは大変な日々を過ごされているのでしょうか。
まだお葬式の会場など準備されていない方は、いざと言う時の為に少しでも早目にお考えになる事をお勧めします。
自分は亡くなった当日に急いでしまった大馬鹿者です。

さてその経緯をお話しします。
父が亡くなった時、家族葬をしました。
早いものでもう3年が経ちましたが、ご参考になればと幸いです。

その頃、祖母、父と同時期に脳梗塞で倒れ大変な日々を送っておりました。
特別養護老人ホームに二人共入って貰ったので、自宅介護されている方から見れば随分と楽で贅沢を言っていると思われるでしょう。

しかし母も元々身体が弱く、精神的にも疲れてしまい自分が何とかせねば、とプレッシャーのかかる日々でした。

父の方が症状が酷く、半身不随、会話は出来ない状態でした。
体調が悪くなると主治医の先生から呼び出しをされ、処置をするに当たってのリスクの了承をしたり、洗濯物を回収しては持って行き…
そんな状況で、夜勤中も気が抜けず疲れは溜まっていきました。

その日その日をこなすのに精一杯で、最悪の事態は頭の片隅にはあったものの、事前に葬式の会場など先延ばしにしていました。

まだ生きて頑張っているのに、葬式の用意なんて不謹慎な気もしていました。

しかしその日はやってきました。
夜勤中に留守番電話が入っておりまして、亡くなった事を知り、急いで病院に駆けつけてました。

寝ている間に喉を詰まらせたそうです。
お気に入りのスーツに着替えてされてくれていて、看護士さんの優しさに感謝です。
亡くなった父を見て呆然としました。
傍のよく喋る母も、いつもに増してずっと話していて、精神状態が危ぶまれる状況でした。

遠くにいる兄にも連絡したり、30分程したところで病室に看護士さんが来られ、お葬式の話になり焦りました。

遺体を横にネットで急いで調べましたが、そんな状態の自分に決められる訳がありません。
母も呆然と父の襟元を直したりしています。

結局は看護士さんに近場の式場を教えてもらいました。

「家族葬は安いのか?」

母が不安そうに聞いてきたので、家族葬にしました。

葬儀屋さんとあれは要る、これは省くなどの話しをしましたが、費用は100万くらいかかりました。

古いマンションを利用した会場で、騙されたかと思いましたが、何とか終えました。

父方の古くからの付き合いのお坊さんに聞くと、
「新聞のチラシに入っている所は大丈夫」
だそうです。

会社の上司なども場所や時間を聞いて来たのですが、母が疲労していることもあり、お気持ちだけ受け取りました。

そんな風な式場でしたが、母はほっとしたようで、どんな所でも気持ちなんだな、と思いました。

しかし、事前に調べて納得のいく場所を押さえていればもっと良い式になったのかも、と思うと心残りは拭えません。

簡単でしたが、皆さん、こんな自分の二の舞は踏まない様に気持ちの許すペースで事前にご用意をお勧めします。

自営業者の視点から見た家族葬の経験と感謝

おはようございます。僕は29歳の男性です。職業としては現在、自営業(フリーランス)をしております。

そんな僕は5年半前に、母親を自殺で亡くしております。とても衝撃的な出来事であり、最初は思い切りショックで悲しみに暮れておりました。

ところが、すぐに葬儀をしなくてはいけません。

そこで友人に助けられながら、家族葬の葬儀社を検索をして、問い合わせをするとすぐに対応して頂けて、とても心強かったですし、助かりました。

葬儀社の社長さんが「この度はご愁傷様です。家族葬となりますと、費用も安く抑えられますし、自由に静かに故人をお見送りする事ができますよ」と教えてくれました。

葬儀に参加したのは喪主の自分と、母の友人1人、僕の友人が4人、親戚の叔母さんが1人という少人数だったので、本当に静かに小規模に執り行いました。

僕からすると全部が全部初めての事なので、戸惑う事もありましたが、葬儀社の社長さんが直々においでくださって、サポートをしてくれました。

そして、通夜、火葬、葬式、という一連の流れを何とか終える事ができました。

費用の方も全部で45万円程に抑えることができました。

親戚の叔母さんが、「香典の他にあたしの気持ちだよ」という事で30万円ほど助けてくれたのも嬉しかったです。

「叔母さん大丈夫だよ。お金はあるよ。」というと、「それは分かるけど、何かに掛かるだろ?掛からないならお小遣いにしな」とまで言ってくれたのです。

この時の心情としては、母親も逝くのが早すぎるよなぁ。という事と、人が集まらない家はやっぱり家族葬にして、安く済ませた方がいいよな。と思いました。

葬儀社の社長さんにも感謝をしております。最後の最後までサポートをしてくれたのですから。

社長さんは「私がついているから大丈夫だよ!」と言ってくれた事は今でも覚えております。

後悔している事は、もう少し人を集める事ができれば良かったかな?と思いました。寂しがり屋の母だったので、もう少し賑やかな方が良かったかもしれません。

でも呼ぶ人も震災の影響で亡くなったり、行方不明という状態です。

その他は、高齢で逝ってしまったりしているので呼ぶ人がいないというのも事実でした。

最後になりますが、アドバイスとしては上記の内容と被る部分がありますが、「費用を安くしたい方」「静かに見送りたい方」「人が集まらない方」は、家族葬の葬儀社に相談するべきです。

絶対に安く済ます事ができますし、静かに見送る事ができます。

葬儀社の方々も、こちらの事情をくみ取って臨機応変に対応してくれるのです。

家族葬を経験した30代女性の感想と考え

私は30代女性で家族葬もそれ以外の葬儀も経験したことがあります。家族葬を行ったのは私の父が2年前に死去した時のことです。父は57歳で脳出血で倒れ、2か月程意識が戻らないまま闘病を続けた末に亡くなりました。

倒れたのは何の予兆もなく突然のことだったので、慌ただしい2か月間だったのですが、父が闘病の時に、昔自分が死んだときには家族葬にしてほしいと言っていたことを思い出し、それを家族と話したところ、家族葬をすることになりました。

父が生前特に親しくしていた知人と家族だけを集めての葬儀になったのですが、基本的には今考えてもいい葬儀だったのではないかなと考えています。他の葬儀に出席してみて、大規模な葬儀の場合にはどうしても参列して下さる方の対応でいっぱいいっぱいになってあっという間に葬儀が終わるという雰囲気があるのですが、家族葬を行ってみて、家族葬の場合には、参列して下さった方とゆっくりとお話しすることができ、また、私たち家族も父との最後の別れの時間をゆっくりと過ごすことができました。

父の立場になって考えてみると、父は多数の人に参列してほしいわけではなく、本当に大切な人とだけ最後の時間を過ごしたかったと思うし、大規模な葬儀をすることで私たち家族に疲弊してほしくなかったと思います。

ですから父が生前に願っていた通りの葬儀を行うことができたのではないかと感じています。大きな後悔というのは特にないのですが、葬儀後に父の死を知って家を訪ねてきて下さる方もいらっしゃって、そのように父との関係を大切にして下さっていた方を葬儀に参列頂くことができなかったことを少し後悔しています。

やはり父本人でないと理解できない交友関係というのもあって、家族葬では呼ぶ呼ばないの判断が残された家族には難しいと感じました。もし家族葬を希望する人がいらっしゃったら、家族としてはとてもいい葬式になったと感じることができると思うのでぜひやってみられたらいいと思います。ただ、参列できなかった方に失礼のないように対応していくことを心掛けていくべきだと思います。

初めての家族葬 – 亡き義父との静かな別れ

昨年、妻の父が亡くなった時に家族葬を行いました。
私たちが住んでいるところは田舎なので、普通の葬儀が一般的で、家族葬は初めてでした。

喪主だった妻の兄が市役所に勤務していたのですが、市役所が葬儀への職員同士の参列を無くす流れになっていることもあり、家族葬に決まったようです。

大抵100人前後、多い時は200人を越えるような葬儀にしか参加したことがなかったので、まず式場のサイズに驚きました。
多くても50席くらいしか入らず、その時は30席ほどしかありませんでした。

お通夜もごく身近な親族だけだったので、20人程度しかおらず、焼香がその分短くなり、お通夜は30分もかからず終了しました。
普通だったら、親族は参列者の見送りをしないといけないのですが、見送りがないので、とても楽チンでした。

身内ばかりなので、変に格好をつける必要もなく、まるで家にいるような感じでした。

翌日も普通の葬儀とは違い、ゆったりとしていました。
前日同様、参列者の対応がないので、
お斎の時間も親族だけでゆっくり食べることができ、葬儀までの時間ものんびりと過ごすことができました。

しかし、この辺りから会場内の雰囲気が変わっていきました。
ゆっくりできる分、義父の事を考えることができ、義父の思い出話や闘病生活などの話になり、義母や妻の叔母などはすすり泣きをしていました。

そして、葬儀もお通夜同様、身近な身内だけなので、とてもしんみりした雰囲気の中で行われました。

仕事上の付き合いなどで、一度も故人と会ったことがない人が参列する人がいても珍しくない通常の葬儀とは全く違った雰囲気でした。

焼香が短い分、普段より短い時間で終わりました。
その代わりに、出棺前の最後のお別れの時間は長めにとってくれていたようで、義父との最後のお別れを惜しむことができました。
そのせいか、参列した人はみんな泣いており、義父の人柄もあるとは思いますが、やはり家族葬のある意味閉鎖的な雰囲気が大きく影響していたと思います。

人が亡くなった時に、どのように悲しみと向き合うかは人それぞれ好みがある思います。
通常の葬儀のように、次から次にやるべきことに追われて、気を紛らわすという方法も良いと思いますし、家族葬のように、何にも邪魔されず、故人と向き合うのも良いと思います。

初めての家族葬でしたが、とても良い経験になりました。

大切な人との別れ – 家族葬の選択

私、現在44歳男。家族葬を行ったのは約4年前くらいです。妻の祖母が高齢だったこと、体調も優れておらず入院をしていたこと、病院の医師からの助言でもう長くはないだろうと言われていたこと等があり家族もそれなりに覚悟はしていました。

病院から連絡があり亡くなったと聞き、彼女の実家にすぐに向かいました。義理の父親と母親と妻と4人で相談した結果、家族葬を行おうという決断に至りました。従来ならば亡くなったおばあちゃんの知人や友人、親族などに連絡をして通夜・葬儀を執り行うのが正式な方法でしょうが、周りを見ても高齢者が非常に多くそれぞれ体調など優れない方々ばかりだったので、連絡をして葬儀に来てもらうことまでは相手にも悪いんではないかという考えでした。

葬儀社の方たちと話し合い手際よく段取りをしていただきました。当日は家族葬なので参加者は子供を含めても10人もいませんでしたが、それ以外は普通の葬儀でした。家族葬を行ったことで私は家族も含め後悔していることは特にありませんが、亡くなったおばあちゃんの知人や一部の親族の方からは葬儀に参加したかったと言われたことは何度かありました。

ただ、このような事情があって話し合って家族葬を選んだんだと説明したら皆さん理解してくれました。私自身もそうだったのですが、今は色々な葬儀のスタイルがあります。一昔前のような近所の家とのコミュニケーションが無くなっている場合や、私たちのように親族の方々が高齢になっている場合、葬儀を執り行う金銭的な余裕のない場合など様々な理由があると思います。

そんな時は悩まずにそのまま葬儀社の方に相談してみるといいと思います。葬儀社によって多少の違いはあるのでしょうが私が行ってもらった家族葬は通常の葬儀でした。私は葬儀とは別れのあいさつの儀式だと考えているのでそれぞれの気持ちの問題だと思います。

葬儀が大きかったとか立派な棺桶にしたとかあまりこだわらなくてもいいんじゃないでしょうか。
葬儀を行ってくれること、大切な家族が別れのあいさつをしてくれたこと。それだけでも故人は喜んでくれると思います。

最後の思い出を大切に – 家族葬のアドバイス

35歳男性です。1年前に家族葬を経験しました。自分の祖父が亡くなった際に、生前の祖父からのお願い通り小規模な葬儀してほしいと言う希望であったため、自分を含めた親族で集まれる限りの人たちで行いました。

最初は大勢の方に見送ってもらう方が祖父も幸せなんじゃないかと思っていましたが、実際に亡くなってみると、その後の対応などが非常に大変で、葬儀までのことを考える余裕がほとんどありませんでした。

亡くなってから病院の方で、葬儀会社を勝手に決められそうになったため、以前から検討していた葬儀会社さんにすぐ電話をし、お願いをしました。家族葬でやりたいとお願いしたところ、快諾していただけたので、手続きも非常にスムーズに行えました。

当日は本当に少数の親族だけで執り行いましたが、祖父が寂しくないようにお花などもたくさん飾ってもらえて、祖父の生前用意していた写真もきちんと飾ってもらえました。祖父の姿を聞いて多くの友人がたが自分たちも葬儀に出席したいと言う申し出もありましたが、今回は家族総出行うので申し訳ございませんとお断りをしました。

本当に最後の祖父とのお別れの時間まで、アットホームな雰囲気で過ごすことができ、祖父の今までの思い出などもたくさん語り合うことができました。

後悔していることといえば、祖父がどんな音楽をかけて欲しかったのか、この点を聞き忘れてしまったことです。

祖母があの人はこの音楽が好きだったよと選んでくれた音楽がたくさんありましたが、それが本当に祖父の希望だったかどうか分かりませんでした。それ以外は概ね祖父の願い通りの家族葬ができたんじゃないかと思っております。

これから家族葬行われる方々へのアドバイスとして、生前に、どのような葬儀にして欲しいかと言う意見をきちんと聞いておくことが望ましいと思います。また、家族葬なんて寂しい、大勢の人と一緒にやればいいんじゃないかと言う方もいらっしゃいますが、最後に尊重されるのはその亡くなられる方の意思ですので、絶対に曲げないでください。

家族葬での静かな別れ – 負担を減らし、家族とゆっくりと向き合う時間

私は27歳の不動産の営業として働く都内在住の男です。祖父が78歳で亡くなった事から家族葬を行うことにしました。

祖母があまり親戚や他の人に迷惑んかけたくないとのことだったので、大きな葬式をするのでなく家族葬でこじんまりと行うなう事にしました。祖父もあまり知り合いが多いわけでもなく、祖父の兄弟はもうすでに亡くなっている人がほとんどだった事も理由に挙げられます。ガンで入院していた祖父でしたが、亡くなる時は思ったよりもあっという間でした。

仕事をしている時に母親から容態が悪化したことを聞いてすぐに向かいましたが、間に合いませんでした。

すぐに家族葬の手配を行いましたが、病院側が紹介してくれた業者ではなく、比較的リーズナブルに利用できる業者をネットで見つけて依頼しました。祖父が亡くなってから3日後に家族葬を行いました。

近所の臨海斎場でこじんまりと担当者含めて5人で行いました。花束や好きだったタバコなどに囲まれて安らかなに天に昇りました。火葬の時間は、待合室みたいなところで、約1時間ほど待ってから家族で祖父の骨とご対面しました。家族葬だったので、親戚などの挨拶が必要なかったので、祖父との別れの挨拶もじっくりと時間が取れてよかったと感じています。家族全員で涙を流しながら祖父を送る事が出来ました。

静かな空間の中で、祖父と最後の話ができる事は家族葬ならではだと思います。祖母も挨拶まわりなどを気にしていたので、家族葬が良かったと家族で感じています。私にとっては家族葬に関して初めてで、葬式自体も初めての経験でした。

費用面でも負担が少ない家族葬は、経験してみて後悔した事はありません。これからの生活の中で、自分の家族にもし何かあれば家族葬にしようと思いました。大勢に囲まれて盛大に送ってあげる通常の葬式も良いですが、故人をゆっくりと家族だけで送り出す事ができるので、是非家族葬を利用してみてはいかがでしょうか。